按司は琉球の歴史の中で12世紀のグスク時代にまでさかのぼり、琉球諸島各地の豪族や首長を指して使われた称号でした。中国の冊封を受ける前から使われていましたが、やがて王号が使われるようになると国王の次の階位を指すようになり、王子や按司の長男が按司となりました。按司家は国王家の分家であり日本の宮家にあたるとわれています。按司の次の階位である親方(うぇーかた)や士族と言えども、按司にはなれませんでした。
ただし、特別な例として挙げられるのは、国頭親方正格が尚元王とともに奄美遠征の際、病に伏した王の身代わりになると自ら祈願し亡くなり、王の命を救ったという功績で王族以外では初めて按司として身分が上がり、その後明治時代まで家格を守った例とされています。
また、多くの功績を認められた按司は、王子位に昇格することがありました。羽地朝秀は按司の中でも時代の変革を見据えて当時の琉球の数々の財政再建に取り組み、薩摩に迎合した改革を行い、1645年、密輸などから主要交易品目であった黒糖やウコンを守るため生産から販売まで一貫した王府による専売制度を布いたりしており王府が買い上げて、砂糖やウコンは日本本土に高値で売れていき運ばれていました。
このような多くの功績から羽地朝秀は摂政も務め王子位にまでのぼりました。
やがて18世紀になると位階は王府による新たな官位制度が制定され細目に渡って記された九品十八階の位階制度の中ではっきりと位置づけられました。